『第三の人生―あなたも老人になる』改訂新版A・デーケン
人生の意義、出会いと愛、善悪、苦しみ、死といった人間に固有の問題は、科学やイデオロギーだけでは割り切れないといわれます。
特に老年期につきものの苦悩や困難は、それを本人が主体的にどう受け取るかによって違った意味をもつようになります。
苦難を人生の大いなる挑戦(チャレンジ)と受け止め、積極的に乗り越えるなら、晩年はこのうえなく実り多いものとなるでしょう。
本書がその一助となれぼ幸いです。
『第三の人生―あなたも老人になる』改訂新版A・デーケン
人生の意義、出会いと愛、善悪、苦しみ、死といった人間に固有の問題は、科学やイデオロギーだけでは割り切れないといわれます。
特に老年期につきものの苦悩や困難は、それを本人が主体的にどう受け取るかによって違った意味をもつようになります。
苦難を人生の大いなる挑戦(チャレンジ)と受け止め、積極的に乗り越えるなら、晩年はこのうえなく実り多いものとなるでしょう。
本書がその一助となれぼ幸いです。
『イワン・イリッチの死』レフ・N・トルストイ
ロシアの文豪トルストイは、作家として成功し、経済的にも家庭的にも恵まれていた熟年期に深刻な実存的危機を体験しました。
自分の死が間近に迫りつつあるのを実感して、人生の意義に疑問を抱き、不安や抑うつ、絶望に苦しめられたのです。
けれどもこの危機を乗り切ったトルストイはより深い洞察力を得、苦悩との対決は文学史上類まれな不朽の名作として実を結びました。
イワン・イリッチは小市民的な成功と幸福しか頭にない平凡な官僚でしたが、つまらぬ事故がきっかけで不治の病にとりつかれ、ありとある心身の苦しみを味わいつくします。
しかし死の淵をのぞくことでイワン・イリッチは逆説的に生の真実に開眼し、最後の瞬間に本来の自分を取り戻して大往生を遂げます。
作者が主人公を通して自らの魂の遍歴を語ったことを考え合わせると、いっそう興味深く感じられる作品です。
実際、桟敷でソラマメをつまみながらビールを飲む観客も多い。
昔から関東地方で人気があり、今も全国の生産量の8割が集まってくる。
今では大産地の鹿児島でも作り始めたのは20年ほど前からで、関東以外では歴史が新しい野菜だ。
家に帰って、さっそく塩ゆでにした。
サヤから出すとどんどん昧が落ちるから、お湯がわき始めてからサヤをむくくらいでちょうどいい。
うまい!塩味だけなのに、どうして採りたて、ゆでたては、こんなにうまいんだろう。
少し残しておいて、夕食はてんぷらも作りました。
軟らかくて、豆本来の味がして、これもうまい。
いつ収穫したかわからない市販のソラマメなど、この味を知ったら、もう食べられない。
ソラマメはしばらくの間収穫できるから、この次は裏ごしして、生クリームを加えたスープにしよう。
どんな料理にしても緑の色がきれいで、初夏を実感させてくれるのが、うれしい。
正月に遊びにきた父親に、私の畑のソラマメを見せると、「福島ではこんなに大きく育たない」とびっくりしていました。
上手に作れば、収穫期には腰の高さぐらいに育つ。
私のソラマメはそれほどではないが、父親にいわせると、それでも「倍以上」だそうだ。
「福島は冬が寒いから、農家は作らないんだな」。
父親はしきりに感心しています。
次の日曜から大相撲夏場所が始まるが、ひと昔前まで、東京の青果業者の間では「5月場所がソラマメの季節」といわれていました。
5月5日昨年の秋にまいたソラマメが大きく育っています。
大きいサヤを開けると、内側に密生している綿毛の布団にくるまれて、プクプクした豆が寝ていました。
母親が、サヤの外からさわってみて、豆が十分に育っているのを選んで収穫した。
花が終わった後、豆のサヤが天に向かって伸びることから「空豆」の名がついたといいます。
原産地は北アフリカ辺りで、日本には江戸時代前半に伝来したが、現在の大粒の品種が作られるようになったのは明治以降だ。
しかし、私が育った福島ではあまり馴染みがない。
昨年の秋、父親が「福島では種を売っていないから、千葉から送ってくれ」といってきた。
かくして、Eさんの1回の入浴が完了する。
浴室から部屋へと車いすを押していると、Eさんが言う。
「あーあ、まただまされてしもうた」
うーん、どうもわかっているらしいな。
なのに、ほぼ毎回のように、このパターンで成功するのです。
これはいったい、どういうことなのか。
おそらくEさんは、こうして「だまされて、いやいや入浴する」という入浴のしかたを選んでいるのでしょう。
それが職員への遠慮からなのか、主体性を発揮せず、受身的存在となることで世の中をうまく乗り切ってきた、日本人によくある処生術からなのか、よくはわからない。
ただ、「だまし、だまされる」という関係を、双方が演技することで、紛れもない現実がそこに生まれるのだということは確かなのです。
介護って、いや人間って面白いなと思うのは、こんなときです。
先週は介助しようとするところで、メガネをとられて投げられたのだが、今日は世間話が功を奏したか、すぐに首に手をまわしてくれる。
こわがりなせいで、腕は必要以上の力で私の首にからまっています。
車いすを押しながら浴室へ急ぐ。
まだ湯を抜いてなければいいが......。
浴室へ入るや否や、私は大きい声でしゃべる。
担当の寮母さんに聞かせるためだ。
「着替えだけしようね。助かったわ、着替えだけでもしてくれて」
さっそく寮母さんは行動開始です。
1人が話をしながら脱衣を手伝う。
もう1人がお湯の入った洗面器を手に、後ろから近づく。
「あ一!ごめんごめん。Eさん、お湯がかかっちゃった」
「まあダメじゃない。こんなに濡れて、ねえEさん。これだけ濡れたんだから、ついでにお風呂に入っていきなさいよ、ね」
うーん、うまい。
よく取調室の刑事が、厳しい役と人情役に分かれて犯人を落とすなんてドラマのシーンがあるが、あれを地で行ってるなあ。
相手の気持ちを察したフォローが強制にならぬために最低限必要なのが、どんな形にせよ、本人が納得してくれることです。
それでさっきから頑張っているのだが、どうも形勢はよくない。
「よしわかった!僕も男だ。Eさんが入らんというものはしょうがない、あきらめた」
「ほうか」
急に表情がよくなる。
「その代り、頼みがある」
「なんか?」
「風呂はあきらめたけど、着替えだけしてくれんかね。風呂も着替えもしてないとなると、それこそ偉い人から怒られる、頼むわ」
「そうか、じゃ、しょうがないの、ほんまに着替えだけじゃの?」
「うん、約束する。指切りげんまん。
ここで着替えするのは恥ずかしいから、風呂場でしましょ、ね。はい、僕の首に手をまわして......」
やれやれ、やっと離床介助まできた。
竹尾善筑(大県大弐の孫)の書いた『即事考』に、男四十二・二十五、女三十三・十九の厄年は、中世に禅家が栄え観音を信ずる者が多かったから・・・
如来が四十二歳で法華を説き、法華経中の普門品が第二十五であるのから、その数字を男の厄にとり、普門品中の観音の示現三十三身、十九説法の数字をとって女の厄年としたのだろうとあります。
しかし、それは数字の因縁についてのロマンティックな趣味的解説であって、なぜそれが人間の不幸に関連するのかを説明できなければ、なんの足しにもなりません。
・・・女の十九は重苦のこじつけなのです。
こういった数字の訓み方の縁喜かつぎを除いては、わが国における厄年説はぜんぜんといっていいほど無意味になってしまいます。
なぜかといえば、厄年の説は本質的には、それほどに他愛のない説明しか成り立たないごくつまらない俗信に過ぎないからなのでした。
それはそうと、電話での占いはココです。
表向きのルールはしょっちゅう踏みにじられます。
〈赤信号、みんなで渡れば怖くない〉というふうに、つねに破り、裏をくぐろうとする行動もたえず起こる。
しかし随規が乱れたら要を失った扇のようなもので、組織や集団は維持できなくなります。
たとえば年貢の苛敏訣求をみても、民が四とすると、それがひどくなって7対3くらいになっても、まだ民はがまんしています。
ところが8対2になったら百姓一揆になります。
このへんの限界をつくっているのが随規です。
〈法三章〉という考え方がありますが、法は三章あれば充分なので、むしろ随規のほうがたいせつだというのが、昔の中国の政治哲学だったようだ。
現在のわれわれの社会でも随規が日常の行動とか判断の基準になっていることが多い。
これはふつう慣習とか前例、といわれているが、随規とは常識の基準ともいえます。
この常識の水準はその時代、その国によって非常にちがってくるのです。