村山美知子(むらやまみちこ、1920年8月16日 - )は、現朝日新聞社社主。元朝日新聞社社長村山長挙の長女。兵庫県出身。

朝日新聞社の発行済み株式総数のうち36.5%(116万6,641株)を保有する筆頭株主。また朝日新聞と関係が深い朝日放送の発行済み株式総数の3.5%(14万5,500株)を保有し、1979年6月から同社の社外取締役も勤めている。元朝日新聞社国際本部副部長村山富美子は妹。朝日新聞創業者村山龍平は祖父。朝日新聞社社主は上野尚一と共同。

財団法人香雪美術館理事長。同美術館は神戸市東灘区の村山邸の一角に建てられている。

社主ということはオーナーに近いんでしょうかね。

長年政治部と経済部による交代制をとっている。社会部からは村山事件のあおりで暫定で美土路昌一が就任したのを例外に、社長に選ばれていない。このことから政治部内では社会部のことを「朝日の参議院」と呼んでいる。2005年、経済部出身の箱島信一社長が武富士広告費問題で辞任、後任には専務三人のうち経済部出身の君和田正夫は別として残り二人の内海紀雄、坂東愛彦、さらに常務筆頭の小林泰宏と社会部出身からは選ばれず常務第三席で政治部出身の秋山耿太郎が五人抜きで昇格した。さらに、秋山は就任後ただちに社内を再編成し社会部を解体した。


やはり経済部と政治部が強いのでしょうかね。

1848年(嘉永元年)10月、父・保兵衛、母かねの長男として丹波国篠山町西町(現・兵庫県篠山市)の生糸商西垣屋の家に生まれる。13歳の春から藩校振徳堂教授渡辺弗措の門下で学ぶ(同門に法貴発がいる)。実兄の豊田善右衛門は三井糸店当主。

1870年(明治3年)、久美浜県(現・京都府)の産物系吏生に就任。地方の官吏を経て1880年(明治13年)10月、当時まだ大阪の小新聞でしかなかった朝日新聞社へ入社する。翌年社主から一切の経営を任され、出資金総額三分の二を村山龍平が、三分の一を上野理一が分担する事となる。この上野の朝日に対する出資は当初極秘にされ、しかも三井糸店当主である実兄豊田善右衛門が保証人となって資金を調達したといわれており、朝日新聞社が社史で認めている政府・三井銀行からの極秘の経営資金援助と関係があるのではないかとする見方もある。その後、村山と二人で朝日の経営を行った。息子は上野精一。

今なお上野、村山両家だけで株式総数の過半数を保有している。


大きな影響力がありそうですね。

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村山龍平(むらやま りょうへい、嘉永3年4月3日(1850年5月14日) - 昭和8年(1933年)11月24日)は朝日新聞の創刊者、政治家。
1850年(嘉永3年)、伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)生まれ。実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住、父とともに西洋雑貨商「田丸屋」(後に「玉泉舎」)を営む。1879年(明治12年)に朝日新聞の創刊に参加。1881年木村平八・木村騰父子から同紙の所有権を獲得、上野理一と共同経営にあたる(1908年以後は1年おきに社長)。

1891年に衆議院議員に当選。1918年に白虹事件で暴行を受ける。1930年に勅選貴族院議員となった。1933年に84歳で死去。勲一等瑞宝章、従四位を追贈された。娘婿は村山長挙。


この人が創始者なんですね。

創刊は1879年(明治12年1月25日)、日本の本支社数は5社、
通信網は日本全国284拠点、日本国外機関31拠点、
印刷拠点は21ヶ所である。

なお、朝日生命保険、アサヒビール、アサヒ飲料、
アサヒコーポレーションなどとは一切関係がない。
売上高 連結:5,729億18百万円
単独:3,769億01百万円

アサヒビールは関係があるのかと思ってました。