


竹尾善筑(大県大弐の孫)の書いた『即事考』に、男四十二・二十五、女三十三・十九の厄年は、中世に禅家が栄え観音を信ずる者が多かったから・・・
如来が四十二歳で法華を説き、法華経中の普門品が第二十五であるのから、その数字を男の厄にとり、普門品中の観音の示現三十三身、十九説法の数字をとって女の厄年としたのだろうとあります。
しかし、それは数字の因縁についてのロマンティックな趣味的解説であって、なぜそれが人間の不幸に関連するのかを説明できなければ、なんの足しにもなりません。
・・・女の十九は重苦のこじつけなのです。
こういった数字の訓み方の縁喜かつぎを除いては、わが国における厄年説はぜんぜんといっていいほど無意味になってしまいます。
なぜかといえば、厄年の説は本質的には、それほどに他愛のない説明しか成り立たないごくつまらない俗信に過ぎないからなのでした。
それはそうと、電話での占いはココです。
